留学生活と大学での研究内容 2013年度RC米山奨学生 ソン セイエン

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国際RC第2720地区
2013年度RC米山奨学生 ソン セイエン
崇城大学 芸術研究科 デザイン 修士課程

自己紹介します。名前はソンセイエンと申します。崇城大学芸術研究科の2年生です。専門は情報デザインです。情報デザインは何ですか?情報デザインは英語でinformationdesign、人間とモノと環境との関係性にカタチを与える方法論、生活の中にあふれる無数の情報を分かりやすく提示する手法、あるいは、それらの考え方です。情報を対象者の的確に伝えるための手法です。情報社会と言われる現代において、情報の伝わり方によって情報格差が生じ、実生活にも大きな差別を生み出します。全ての人に同じように情報を伝えなくてはならないが、受け手の条件によって、情報の伝わり方及び理解の仕方が異なります。情報をどのように企画、設計、加工し、どうのような方法で伝播するかを考えることが、今、私は勉強しているものです。ふるさとは中国の吉林省です。吉林省は北部を黒竜江省、西部を内モンゴル自治区、南部を遼寧省、南東部を北朝鮮と接します。日本の宮城県と友好都市です。長白山は中国の吉林省と北朝鮮の国境地帯にある高さ2744mの火山です。頂上にティエンチと呼ばれるカルデラ湖があります。10月?6月はティエンチは氷に覆われます。冬の吉林省はとてもきれいです。特に樹氷が有名です。樹氷はマイナス5度以下に冷却し水蒸気や過冷却の水滴が、木などに吹き付けられ凍結してできた氷です。2006年4月、私は日本に来ました。今にかけて、8年目になります。最初、日本来た時、日本語を全然わからなくて、タクシーの運転手に直接、中国語で「右」「左」と行き先までの道スジを話しました。しかし、私は全然外国の感じがありません。2年間の日本語を勉強したら、好きな専門、グラフィックデザインを選びました。周りの先生と友達からいろいろな手伝ってもらって、大学の生活はとても楽しかったです。3年生から、作品の優秀賞などの肯定があって、自信もどんどん増えます。授業がない時、アルバイトをして、ボランティアをやって、友達とあそんで、自分から自分をチャレンジします。同時に、好きな日本文化を勉強します。2012年の4月、大学院生になりました。担当先生と札幌と東京の学会に参加して、東京の美術館、博物館を見に行って、アニメを作って、充実でした。私の大学院の生活はあと残り半年です。忙しい基礎の上にもっと忙しくなります。しかし、自分好きなことをやって、幸せです。

「服」は「時代性の特徴」と「個人の表現手段」の役割があります。 服飾が「服飾」として独立して存在するのではなく、それは社会構造に現れた一つの現象であるという視点から、当時の世界環境や経済的状況、文化や習慣などを読み取ることにより、価値観や文化の変化、ファッションの変化などを明らかにするものです。そのような1920?40年代における「チーパオ」は、すぐれて当時時代の人々の生活文化の表象そのものでした。本研究では、中華民国時代の海派チーパオを研究対象として、「民国時代の上海」「女性思想」「海派チーパオ」などの要素を考えて、関連性を探します。

研究プロセス

チーパオの変遷から見て、保留と変化の二つ部分をまとめました。保留の部分は高襟、スリット、装飾ボタン三つがあります。変化は型と素材です。この部分は西洋からの影響があります。辛亥革命と五四運動は中国古い社会構造を打ち破って、共和制国家である中華民国が樹立されました。1910年代に起こってきた啓蒙運動で、新思想を鼓吹しました。海外で新知識を勉強した留学生と新式学堂で勉強した学生が主体になります。皆は思想開放、外来文化を受け、中国の伝統的な複雑な物を改造しました。チーパオのデザインはシンプルになりました。文化革命と文化運動を受けて、20年代のチーパオの特徴も変わりました?。西洋の文化を受けたチーパオは体の線を如何に美しく見せるかが重要になってきました。デザインはスリムで細い袖といったスタイルになりました。西洋のミニスカートや上海に輸入されたストッキングの普及もあり、チーパオの長さは膝までの短いものが多くなり、西洋のハイヒールが広く普及しました。国際で、20年代のアメリカは、女性への参政権が与えられるようになりました。世界の女性の社会地位が上昇しました。中国の都市の商工業はより盛んになっていきました。この時期の上海は中国の経済中心になり、東洋パリと呼ばれないとクラブ?ショービジネスが繁栄しました。経済を上昇して、政治と社会の不安定な状況が続いて、皆は享楽主義を変えました。チーパオは若い女性や花柳界、芸能界のファッションとして流行しました。チーパオの長さに着目するなら、1930年代には裾が床を掃除するようなチーパオという意味で、「掃地チーパオ」と呼ばれるロング型の新しいチーパオが広く流行しました。30年代から、全面的な戦争が始めました。不安定な生活と物質不足の状況があるので、チーパオの素材は安い素材に向けて、デザインは動きやすいようになりました。この時期のチーパオのデザインは変化が少ないが、長さに関しては膝下2センチから3センチが多いです。実用的な、安い素材は女性がよく選んだ素材になりました。その時期、青い綿布あるいは「愛国布」と言う素材が誕生しました。民国時代の上海で、中国の近代広告も始めました。雑誌、ポスター、ポスターとカレンダーを結びつける月?牌を出ました。その 中に、女性イメージがたくさんあります。モデルさんたちは皆、チーパオを着ています。チーパオの宣伝手段の一つです。中華民国の女性は教育を受けてはじめます。思想開放です。家に出て、社会で働きます。女性は自分の趣味、社会地位、個性など表現したいです。チーパオ、この毎日着る服装は女性の自身表現の手段になります。上海の地理と男性は戦場へ行くの客観原因があるので、軽工業は上海の中心工業になりました。だから、女性は社会の主な労働力になります。これはチーパオの「多様化」にたくさん条件を提供しました。もう一つは、民国時代の上海で、たくさん優秀な女性が出ました。作者や女優さん?彼女たちは一人一人が個性に基づいた影響力を発揮し、さまざまなチーパオを通して民国のファッションの先端を牽引していました。蒋介石の奥さんはチーパオが大好きです。彼女は何百枚チーパオを持っています。国際の場合は彼女はいつもチーパオを着て、そのうえに海外の友達によくチーパオを送ってあげます。海外にチーパオを宣伝する広くになって、大切な推進役割がありました。チーパオは、長い歴史がある服飾形態を基礎としながらも、民族的な伝統に従属することなく変化し、受け入れられていました。そして、むしろ上海の社会環境に適応する形で、西洋服の要素を取り入れながら固有の服飾形態が作れました。チーパオは古いものとされ、時代遅れのイメージが強くありました。現代中国のメディアは、さまざま中国伝統服のなかでもチーパオは最も中国女性の魅力を引き出すことができます。現代チーパオの社会的な位置づけについては、政治的、経済的要因からの考査だけではなく、文化的要因を考えていきたいです。

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